「先生」というお仕事
- shima1003
- 5月10日
- 読了時間: 3分
更新日:5月28日
私は、母校である広島音楽高等学校で非常勤講師として勤務していた時期があります。
最初は、音高付属の「大人の音楽教室」という組織で声楽非常勤講師としての勤務が始まりました。その後に、ピアノの恩師が音高に引っ張ってくださいました。最初はソルフェージュの講師でした。音高は能力別のクラス編成でしたが、Sクラスが新設されるということで、その指導に当たることになりました。
その後、少しずつ声楽の生徒も担当させていただけることになり、舞台芸術科という学科が新設され、その事務作業を担うことになり、音楽理論やソルフェージュなどを担当することになりました。独自に制作したミュージカルの上演に、生徒たちと一緒に全力で取り組みました。どんな厳しい状況でも必死に頑張る姿は本当に素晴らしく、彼らと出会えたことに心から感謝しました。
個性豊かな生徒たちとの毎日は、とっても楽しかったです。大変なこともたくさんありましたが、生徒たちとの時間は宝物です。
私は多分、いえ、すごく厳しい先生だったと思います。
なぜなら、生徒たちはプロを目指していたからです。プロの世界は厳しいです。言い訳もできませんし、才能が溢れている人もたくさんおられます。その中に、生徒たちが挑む。なんとかチャンスがあるなら、頑張って欲しいと思ってのことでした。
本当に大事なものは何か。それを理解してもらえたらと思ったからです。
母校は廃校となりましたが、今、卒業生たちがそれぞれの世界で活躍しています。ただ、音高卒業生だからといって、音楽の世界に居なければならないとは1ミリも思っていません。
それぞれの世界で、「私は幸せ」と思って生きていてくれたらと願っています。
幸せだと思える選択に自信を持っていて欲しいと心から願っています。
「先生」というお仕事に就くとき、アドバイスをしてくださった方がいます。
「生徒は裏切ります。びっくりするくらい簡単に。それだけは覚悟しておいた方がいいです。でも、生徒は本当に可愛いですよ。きっとそうなります。」
そのように言ってくださいました。実際、私も裏切りを経験しました。そのときに、それでも私からは裏切らないと決めました。覚悟を持って生徒と接する。そして、切り替える。引きずらない。でも、信じる。
私もそうやって音高で育ててもらったのです。
生徒たちの長くなるであろう人生の、ほんの一瞬に関わる。でも、嘘なく、正面からしっかり向き合おうと思いました。
ただ、至らない私であるがために、思うようにならなかったことももちろんあったし、生徒を傷つけたこともあったと思う。だからこそ、「先生」と言われるお仕事について、深く、考え続けています。
今、思うことは。
音高の生徒たちに、先生にしてもらったということ。心から感謝しています。
卒業してもなお、私は生徒たちに幸せな思いをさせてもらっています。
卒業して大人になって、久しぶりに会ったとしても、あの頃の面影が必ず蘇ります。
そして、成長した姿に感動します。
私のラジオ番組「イル・テゾーロ・ミーオ♪」に出演してくれた音高卒業生や個人的に教えた生徒たちです。
オカリーナ奏者・下原陸人さん、箏曲演奏家・山﨑賀子さん(両名とも音高出身で、下原陸人さんは私の門下生でした)

DTM制作者・音響エンジニア 山下直人さん(個人で教えていた生徒さん)

ピアニスト・友安優弥さん(音高出身)

舞台俳優・木谷美絢さん(音高出身・私の門下生でした)

先生になってよかったです。私も頑張ります。恥じないように。
感謝です。
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